読書家の本棚

「読書家」は何冊読んだら「読書家」と言えるのか?

本を読むというのは結構骨の折れる作業です。最近ではついに電子書籍が市民権を得始めていますが、
本の販売部数は右肩下がり、休刊する雑誌や倒産する出版社のニュースもよく見かけます。

人は、人生で何冊の方を読むことができるかご存知ですか? 「速読術」とかを聞いたことはありますが、一般的ではありません。
私の読む速度が普通だとして、ページ数にもよりますので、一概には言えないですが、例えば、あの大ヒットした村上春樹さんの「1Q84」1巻で換算すると……
計算してみましょう。あの本は、一気に読んでしまったので、あれだと没頭して一日1冊。
10歳から読むとして70年間で約25000冊です。没頭するとして25000冊ですから、
人生すべてを読書に耽溺するわけにはいきませんから。まあ読書家の部類で、読めてその10%と見ました。
そんなものでしょう。つまり一生に何冊読めるかというと、おそらく2500冊程度。これを越えると、人としての正常な営みは行えません。
読書家の本棚

何が言いたいかと言うと、たった2500冊しか読めないのですから、人の(他人の)読書について、
邪魔なお節介は止めてほしいということを強く言いたいのです。冒頭のこの記事で書こうと思った、「文科省」の政策について、
強い疑念がありますが、最後にしたいと思います。
私は、55歳になりますが、どちらかと言うと読書家の部類です。おそらく5000冊以上は読んでいると思っています。
そこで、常々思うことですが、私が本を読むことと、「日本人のが読書離れが蔓延している。何とかせねば。」という問題は無関係だ。と言いたいのです。
小学生の頃、嫌な思い出があります。「課題図書」なる物を夏休みに強制的に読ませられて、宿題に「読書感想文」と言うのが定番でした。
嫌でたまらなかったです。理由は単純で、本一冊読む手間を、時間を勝手に奪わないでほしい。と言うことでした。
しかも読みたくもない本。読みたい本があるというのに、何たる無駄な仕打ちかと幼心に感じたものです。
どこかのカルト集団みたいに、「本を読め」「何冊読め」そればかり。「読まねばならん。」思考破壊の拷問か虐待に等しいです。
そもそも、読書するか否かは個人の自由です。まして、無理強いしてこれを読め。何冊読め。あってはならない愚行です。
どこかの宗教団体が「これを読め」と寸分たがわぬ同じことを教育者がやっているのです。
現代でもまだやっています。検索エンジンに「読書離れの現状」で検索すると、
一番が「文科省」2番が文科省のページの「第2 国語力を身に付けるための読書活動の在り方」です。
一冊の著作を読むいうことは、その人は日常生活からそのための一日を作るんです。軽々に本を読め、何冊読め、と言うのは止めて頂きたいものです。
読書は娯楽です。本は楽しむためにあるのが正常な文化です。読書家は勉強家ではありません。
娯楽に興じ過ぎなだけなのです。逆に「読書」ができること自体が余裕があって豊かな証拠です。
自ら読みたい気分になりたいものです。

次回から「読書を楽しみませんか。」というお誘いとして、「電子書籍リーダー」を紹介します。